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help リーダーに追加 RSS 灘中への道・・・5

<<   作成日時 : 2008/03/05 00:58   >>

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ぼくの通っていた塾でも、5年生からは時間の長い夏期講習があった。

しかし、スケジュールが他の進学塾とは大きく異なっていた。


詳細は憶えていないが、午前中に3時間ほど勉強をする。


お昼を食べ、その後、近くの大きな広場でサッカーをする。一時間ほどサッカーをした後、教室へ戻ってきて、昼寝をする。


そしてその後、また勉強をする。

子供のぼくはそれを楽しんだと思うが、サッカーをしたり昼寝をする分、勉強時間はどうしても短くなる。


むろん、こういう風な時間割にするのも先生の考えがあってのことだったはずだ。だが、中学受験とはある種、殺気立った空気を要請するもので、このような生温い空気ではダメではないだろうか、という不安を抱く父兄がでてきた。


この頃から、外部の大きな試験を受けだしたと記憶する。


20年後にこうやってブログで書くなんて意識していなかったので詳細は憶えていないが、1万人くらいが受ける規模の試験だったはずだ。


最初に受けた時は400番くらいだったと思う。


また、塾内試験では5番前後をキープしていたので、親も欲がでてきたと思う。

前回書いたk君とは、母親同士も仲よくなっていた。k君はさすがにずっと一番はキープできなかったが、それでもぼくのいいライバルだった。


親同士の情報交換も活発になったせいか、塾を変わることになった。


細かなことは憶えていないが、k君もぼくもほぼ同時期に塾を辞めたような気がする。その後kくんがどの塾へ行ったのかは全く憶えていない。



当時、京阪神で最も有名な塾といえば、H学園だった。


毎年、灘中、甲陽や神戸女学院といった難関校に何十名と合格者を出し、大手進学塾の代名詞のような存在だった。


学校のクラスでも、6,7名はH学園に通っていた。


しかし、ぼくが通ったのはまたしても個人塾だった。


とはいえ、次に通ったのは個人塾とはいえ、有名塾であった。


確か一学年80名ほどだったと思うが、20名ほどが灘に合格していた。

しかし、売りは合格者数よりも合格率であった。大手に数では勝てないが、実質では勝っていることをアピールしていたのだと思う。

逆に大手は数で勝負をする。

たとえば、60名しか募集していないところでも、塾生を80名受験させ、合格者数を増やす、といったことをしている、というのを当時はよく耳にした。




とはいえ、ぼくの行った塾もやはり難関中学への合格者が多いから有名であったことは確かだ。



さて、この塾に入ってから、ぼくの本当の受験戦争が始まったのであった。



kip学伸 草加教室長・大沢歩

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