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help リーダーに追加 RSS 灘中学への道・・・2

<<   作成日時 : 2008/01/30 23:00   >>

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4年生から進学塾へ行ったわけだが、それまでの自分の学力に関しては全く記憶にない。

公文にも塾にも行ったことがなかった。強いて思い出してみると、妹と一緒に今でいう100マス計算を家で少しやったくらいか。それも継続はしていなかったと思う。いつも、妹より早く終わるのだが、おっちょこちょいのせいか、いつも間違いがあり、そのような性格は未だに変わっていない。

小学校での勉強に関する記憶もほとんどない。特別に出来たとも思えないし、特にダメだったこともなかったはずだ。

小学校といえば、一つ印象に残っている事がある。

3年生の時だ。

算数の授業参観だったと思うが、図形の単元をやる時に、先生が「道具を使って円を書きましょう。ただし、コンパスはダメです」といった。


みな、教室にある丸いものを探し、それをなぞって円を描いていた。

ぼくは、そういう発想が最初からなく、裁縫箱から糸とハリを出し、ハリと鉛筆を糸で結び、ハリを中心に円を描いた。


先生がそれをもの凄く褒めてくれた。通信簿にも「発想がユニークです」と書かれていたのを思い出す。褒めてくれたからなのか、この先生のことは凄く好きだった。

他に記憶に残っているエピソードなどはない。つまり、その程度だったのだろうと思う。

そんなぼくがなぜ進学塾へ行くようになったのか、自分でも全く記憶にない。恐らくは親に勧められてのことだったと思う。

当時、阪神間ではH学園が最も有名塾だった。芦屋にもあったが、ぼくが通ったのは家から電車で30分〜40分ほどの小さな個人塾であった。

そこは、新しい塾であった。先生は一人で、灘中→灘高→東大という経歴の人であった。それまでその先生は、灘中に何人も合格者を出す個人塾で講師をされていたのだが、独立したのだ。ぼくは丁度、一期生ということになった。

入った当初は恐らく生徒数30名弱だったが、5年生になったときは50名を超えていたと思う。

ここで算数をみっちりと鍛えられ、成績は伸びていくのだが、入った当初は成績が下の方だったのを憶えている。


続く・・・・。


kip学伸 草加教室長・大沢歩

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