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1976年生まれのぼくが、中学受験のための勉強を始めたのは4年生からであった。 今から20年も前の話だ。 現在のぼくは埼玉に住み、教える側として中学受験に関わっているが、時代が異なるし、場所も異なるので、今の受験事情とは様々な意味で異なるようにも思うが、色んな共通点もあるように思う。 ぼくは当時、兵庫県の芦屋という街に住んでいた。当時は人口10万もいなく、もちろん小さな街なわけが、非常に特殊な街であった。 特殊性を言う前に地理的なことを確認しておくと、すぐ西が神戸市である。そして、神戸の一番東よりの区(すわわち芦屋に隣接する区)が東灘区というのだが(その西隣が灘区)、そこに全国的に有名な灘中学・灘高校がある。つまり、灘にあるから灘中学・高校なのだ。 そして、東隣には西宮市というのがあるのだが、芦屋と隣接するすぐのところに甲陽中学・高校という関東ではあまり知られていないが、東大・京大をはじめ、国立大学医学部へたくさん合格者を出している学校がある。無論、かなりの高偏差値だ。 他にも学校はあるのだが、とにかく周りには偏差値の高い有名中学がたくさんある。 周りに学校があれば、当然選択として中学受験が浮かんでくる。 話をもとに戻そう。芦屋がどれくらい特殊かというと、まず街そのものにパチンコ屋、ゲームセンター、ボーリング場という娯楽施設を作ってはいけない。これは条例で決まっている。 日本では駅前にパチンコ屋やゲームセンターがあるのがどこでも見られる風景だが、それがない。 それから、町によっては、マンションは駄目、自動販売機も駄目、300坪以下の家は駄目、という厳しい制限がかかっており、電信柱さえ地中に埋まっていたりするところがある。 それからお金持ちが住む山の手にはコンビ二が一切ない。これは今も変わっていない。あるいは、吉野家や松屋といったファーストフードがない。地震後に駅のリフォームでマクドナルドが駅にようやくできた。 結果的に中学受験に失敗して、公立の中学へ行くことになったが、一緒にテニス部へ入った友人は、「テニス部に入ったから、庭にテニスコートつくろうかなって話が家族で挙がってるんだ」と言っていた。 あるいは、運転手をかかえたクラスメートもいた。 街で一番多い車種がベンツというのも相当に特殊だと思う。 今思えば、ぼくの家は決して貧しくはなかったはずだが、そういう環境にいたので、自分の家は貧しいと思っていた。 現在、収入格差、学力格差といったものが騒がれ、「学力と収入が比例する」といった社会学的統計なんかも出ているが、ある程度は妥当するのだと思う。 ぼくの通っていた公立小学校では、クラスの半分以上が受験をした。実際の割合は憶えていないが、仲の良かった友人は、みな私立へいってしまったのもあってか、ほとんどの人が受験したようにすら思える。20年も前のことだから、これはある意味で凄かったのだと今なら実感できる。 こうやって振り返ると、ぼくのいた環境が全国的に普通だったとは到底思えないが、当時のぼくはそれを知る由もない。 きっかけは全く憶えていないが、普通のことして中学受験の道に入ったのだと思う。 続く・・・・ kip学伸 草加教室長・大沢歩 応援してくださる方はクリックお願いします。→人気blogランキングへ |
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